私たちの歩み

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CHRONICLE

私たちの歩み

1950年の創業から、60年を超える西日本電線の歴史をご紹介します。

1950

05/24

西日本電線、設立。

西日本電線株式会社創立

西日本電線株式会社創立。当時の従業員数は14名。
原料資材の確保が困難であったこと、技術的な経験が浅かったことなどから十分な生産能力を発揮することができなかった。
また原料である銅の入手も困難を極めたが、こうした銅の不足が三井金属との提携の大きなきっかけとなった。

三井傘下となり技術向上、設備拡充へ

創業まもなく勃発した朝鮮動乱の影響で活況を呈した。
裸線の生産からゴム線被鉛線などへの製品充填をはかり、神戸以西で唯一の存在となった。
しかし設備拡充を急速に進めたために安定した取引先がなく、財務面で資金繰りに追われるようになる。
そして原料銅の供給を受けていた三井金属からの資本参加と役員派遣による経営参加を協力 に要請することになった。
三井傘下に入り、資金の援助、技術の向上、設備の拡充は一変した。

1960

ビニル線工場の建設着手

ビニル線工場建設

ビニル線工場建設に着手。
これまで散在していた各種ビニル線製造機械をこの新設工場に移設。
合理的でゆとりのある配置を目指した新工場は翌年、完成した。

1963

撚合/ゴム線新工場の建設着手

撚合/ゴム線新工場

ビニル線工場完成に引き続き、総工費5億7500万円をかけ撚合およびゴム線新工場の建設に着手。
2年後の1963年に完成した。

1965

通信ケーブル専用エ場/堅型連続架橋設備の完成

通信ケーブル専用エ場/堅型連続架橋設備

通信ケーブル専用エ場は1966年1月、堅型連続架橋設備は同年6月に完成。
これによりケーブル部門が飛躍的に増強された。

1966

アルミ線専用エ場の完成

アルミ線専用エ場

アルミ線専用エ場が完成。
年を追うごとに設備の増強、技術開発、合理化を積極的に推進し、「ケーブルの西電」に成長した。

1982

経営再建/体質作りを開始

オイルショック後の昭和49年以降、諸般の経営努力にもかかわらず、巨額の繰越損失を抱え経営危機の状況に追い込まれた。
親会社である三井金属鉱業は再建計画を発表。用地売却をはじめとする財務内容の改善や経営体質作りに努めた。
繰越損失は三井金属の責任で解消、経営の主導には藤倉電線が着任した。

1993

台風13号で打撃

台風13号で打撃

戦後最大級といわれた台風13号が大分市に急接近。
構内全域で約50〜80cmほどの浸水があり、工場停止の状態に遭うという壊滅的な打撃を受けた。

1993

挾間工場の竣工式

挾間工場の竣工式

翌年1月からの操業に向けて、挾間工場の竣工式が行われた。

2005

アメーバ経営※ を導入

アメーバ経営を導入

アメーバ経営※を導入。
大企業病が蔓延する中、小さな組織体の集団として経営への参画意識を持ち改善を進めることで、将来の明るい西電を目指した。

※「アメーバ経営」とは、京セラ創業者 稲盛和夫が京セラの経営を通じて構築した経営管理手法です。
「アメーバ経営」は京セラ株式会社の登録商標です。

2010

経営理念浸透プロジェクトを発足

経営理念浸透プロジェクト

ミッション、ビジョン、基本的価値を総称した経営理念「MVCV」を血肉化するための活動、「経営理念浸透プロジェクト」が発足。
未来に向けて西電が発展し続けるためのこのプロジェクトは、西電のこれから先の60年をつくるプロローグとなった。

西日本電線の経営理念はこちら

2015

千葉事業所を開設

千葉事業所

千葉事業所を開設。

2020

創立70周年

創立70周年

創立70周年を迎える。